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藝大リレーコラム - 第八十三回 丸山素直「けものみちから」

連続コラム:藝大リレーコラム

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第八十三回 丸山素直「けものみちから」

2025年4月、デザイン科の准教授に就任しました。研究室を整える間もなく、飛び交うボールをひたすら打ち返すような日々が続いています。

私が藝大に入学したのは、ちょうど20年前の2005年。3浪の末に入ったデザイン科では、現役合格からアラサーの多浪まで、個性豊かなクラスメイトに囲まれました。まるで上野動物園の延長のように賑やかなクラスでは、互いに意識し合い、刺激を受けながら、切磋琢磨して作品を制作していたのを思い出します。そんな中で私は、せっかく苦労して入ったものの「藝大に染まりたくない」という気持ちがどこかにあり、大学の外にも目を向けて独自の道を探していました。過去を振り返ると私は、獣道を選びがちな性格のようです。

2010年秋にはウィーン応用美術大学へ短期留学し、当時現地にいらしたミヒャエル?シュナイダー先生(現在は絵画科油画専攻版画教授)のもとで学ぶ機会を得ました。今こうして同じ藝大で教員としてご一緒できていることに、不思議なご縁と喜びを感じています。2011年3月11日、東日本大震災はウィーンにいる最中に起きました。今その出来事を話すと、「あのとき日本にいなかったのか」と言われることもありますが、当時の私は体こそウィーンにあれど、心は日本にあり、今より不便なインターネットでニュースを追い続ける日々は、心身共に休まらない時でした。

ウィーンの人々は本当に日本を心配していました。新聞の一面には連日日本のニュースが掲載され、教会からは「日本のために祈りましょう」という言葉が聞こえてきました。街ですれ違う人からも「大丈夫ですか?」と声をかけられることもありました。そして何よりも驚いたのは、学生たちの行動力でした。震災の次の日には日本への支援活動が始まり、20日ほどでチャリティー展示会「ARTISTS HELP VICTIMS IN JAPAN」もスタートしました。作品の売り上げを募金にあてるこの取り組みは、学生の自主的な動きから始まり、教職員や企業のサポートも加わって、見事に形になりました。さらに展示された作品は全て完売。学生の作品を購入してくれる大人の数にも驚かされました。私はシルクスクリーンによるグラフィック制作のためにウィーンに滞在していましたが、この経験は、今でも私の大きな支えになっています。

現在も、世界のどこかで戦争や飢餓、気候変動、災害など深刻な問題が続いています。日本では日々の忙しさに埋もれがちですが、少し先にいる他者の声や現実に目を向け、学生たちとともに「自分にできること」を考え続けていきたいと思っています。つい先日もデザイン科の全教員で課題の講評会がありました。学生たちの作品は力強く、そして優しく、それに応えるベテランの先生方の言葉も同じように深く温かく、脈々と続いてきたこの環境を大切に受け継いでいきたいと感じました。

私の研究室の名前は「Embrace」と名付けました。多様な考え方や表現をあたたかく受け入れ、領域を横断しながら社会の課題に向き合っていく場にしたいと願っています。

2011年3月31日「ARTISTS HELP VICTIMS IN JAPAN」オーフ?ニンク?の様子

 

写真(トップ):研究室から上野動物園側を望む


【プロフィール】

丸山素直
東京藝術大学美術学部デザイン科准教授 デザイン、アート、音楽を通して幅広い年齢層や環境に合わせた表現活動を企画し、領域やメディアを横断して活動。芸術の楽しさと重要性、可能性を追求し、自治体や企業、教育機関や病院などの福祉施設で多く実践している。また、シンセサイザーバンド「CRYSTAL」のメンバーでもあり、2007年にフランスの institubes からデビュー。東京以外にパリやニューヨーク、マドリッドなどでも演奏してきた。著書に『どうぶつたちのおんがくかい がっきをつくろう!』(福音館書店 かがくのとも 2024年9月号)など。