「藝大生の親に生まれて」は、芸術家の卵を子に持つ親御さんにご登場いただき、苦労や不安、喜怒哀楽、小さい頃の思い出やこれからのことなど、様々な思いについてお話をうかがい、人が芸術を志す過程や、生活の有り様について飾らずに伝えます。
──流石さんは福井県出身で、東京藝術大学音楽学部附属音楽高等学校(藝高)の邦楽科で三味線を専攻後、藝大に入学していますが、藝高入学までの経緯を教えてください。
(母) まず、夫も私も楽譜を読めないくらい音楽とは無縁でした。特に邦楽にはまったく興味がありませんでしたね。夫はロックが好きなくらいでしたし。
息子が3、4歳のころ、テレビのドラマなどで出てくる芸者さんの踊りに興味を持ったんです。テレビに釘付けなんですよ(笑)。そのうち、家にあった扇子を持って踊るようになって。浴衣を着せて踊らせていたのですが、そのうち晴れ着を着るようになって。晴れ着は着すぎて袖が取れました(笑)。
それで、福井で日本舞踊の先生が主催する浴衣会に参加してみたんです。そのときに小さい子どもが舞台に釘付けだったので、スカウトされちゃいました。
──では、最初は日本舞踊から始めたんですね。
(母) そうですね、その前に今も続けていますが、ピアノを習っていました。日本舞踊と合わせて、子ども歌舞伎もやっていましたね。日本舞踊は今年の4月、師範に合格しました。
小さい頃の流石さん
──日本舞踊から三味線を習い始めたのはなぜですか?
(流石) 僕が坂東玉三郎さんが好きで。阿古屋という演目で玉三郎さんがお琴、三味線、胡弓を演奏するのを見て、自分でも三味線をやってみたいと思うようになったんです。中学1年生の終わりくらいに、近所に三味線を扱う楽器屋があったので、そこに三味線を習いたいと相談に行きました。そのとき、東京のお師匠さんが2ヶ月に1回、出稽古にいらっしゃっているということで教わることにしました。
──藝高の存在はどのようにして知ったのでしょうか?
(母) 息子が小学校4年生くらいのときに、歌舞伎の先生から藝大に日本舞踊の専攻があるということをお聞きして、行きたいとは言っていました。でも藝大の音楽学部に附属高校があるということは知らなかったんです。そんな時、息子がインターネットで藝高を見つけてきて、ただ、日本舞踊のコースはないということだったので、三味線で受験しようということになりました。
(流石) その当時は、普通の高校に行きたくなかったんです。専門的な勉強がしたいと思っていて。三味線の先生に相談したら、がんばりましょうということで目指すようになりました。
──三味線を始めたのは中学生からなんですね。
(母) まわりの話を聞くと、やはり親御さんも邦楽の家だったりして、小さい頃からやっている子どもが多いんですね。それでも息子が合格できたのは、三味線を教えてくれた師匠さんたちのおかげだと思います。
──藝高時代はいかがでしたか? 邦楽以外の学生もいたと思いますが。
(流石) 藝高では1クラスのなかに邦楽の子もバイオリンの子もピアノの子もいて、いろいろな刺激をもらいました。練習はどうやっているのかとか、集中力を切らさない方法とか教えてもらったり。
藝高入学時
──高校入学と同時に一人暮らしになるわけですが、お母さんは心配ではありませんでしたか?
(母) きちんと食事がとれる学生会館とかも検討したんですが、息子が楽器を弾く時間を取りたいということで、近くの普通のマンションにしたんです。ご飯は自分で作るからって。でも、やっぱり作らないですよね(笑)。それで入院してましたから、藝高時代に。
(流石) 高校1年生のときに、慣れない環境な上にとても忙しくて、激痩せしたんですよね。
(母) 痩せて喜んでたけどね(笑)。まあ、藝高には同じように一人暮らしをしている学生も何人かいるので、なんとかなるだろうとは思っていました。なかには、母親と一緒に上京してくる子もいましたけど、私は仕事があるので。ただ、夫が月に2回ほど上京して仕事をしているので、そのときは息子の家に泊まって食事をしたりしていたので、ずっと1人という感じではなかったと思います。
──藝高から藝大に入った息子さんを見て、どう思われますか?
(母) 勉強する環境としてはいいですよね。特に藝高は。大学に入ってもそれは同じだと思います。高校に比べ大学のほうが忙しいみたいですけど。
──芸術に興味がある子を持つ親御さんになにかメッセージなどありますか?
(母) この子は小さい頃から、やりなさいというとやらない子だったので、勉強しなさい、宿題しなさいと言ったことがなかったんですよ。ただ、三味線でも日本舞踊でも最低10年は続けなさいということは言っていました。やはり、子どもがやりたいと思ったものをやらせてあげて、伸ばしてあげることは必要かと思います。
あとは、藝大に関して言うと、センター試験を疎かにしないことですね。いくら実技で実力があっても、センター試験である程度点数を取らないと受かりませんから。軽視してはいけないと思います。
──流石さんは東京に出てきて4年目ですけど、いろいろなところに行きましたか?
(母) 遊んでます遊んでます(笑)。
(流石) これを言うと批判的に感じる人もいるかもしれませんが、ただ家で何時間も練習して、学校行って、また何時間も弾いてという生活はダメだと思うんです。音楽は、出会いや別れ、恋愛とかテーマがあるわけじゃないですか。それを経験しないのに表現しろと言われてもできるわけないじゃないですか。ということは、いろいろ外へ出て学ばないといけないと思うんです。うん(笑)。
(母) (爆笑)
文:三浦一紀
撮影:永井文仁