「藝大生の親に生まれて」は、芸術家の卵を子に持つ親御さんにご登場いただき、苦労や不安、喜怒哀楽、小さい頃の思い出やこれからのことなど、様々な思いについてお話を伺います。
──お母様も本学の卒業生でいらっしゃいますよね?
はい。工芸科で陶芸をしていました。大好きな田村耕一先生に憧れて陶芸に入門し、浅野陽先生からご指導していただき反抗しました。
──名前のおかげで伊代さんは得しているようですが。なぜ「松本伊代」にしたのでしょうか?
それはもちろん、「松本」だからです(笑)。こんなおいしい話はないと(笑)。絶対に幸せになるし何をするにもマイナスにはならないだろうと思ったんです。
──その確信はすごいですね。
そうですか? それに、「伊代」って名前がかわいいし。
──幸せになるようにと願って名付けられたんですね。伊代さんが藝大とか、美術、デザインとかって、言い始めたのはいつ頃だったんですか?
私は陶器をやっているので、ある程度、生まれてすぐに娘に粘土を触らせたんですよね。そういう環境にあるのでなんでもかんでも自分で作らせたり、描かせたり。どこに描いても怒らないし。そういうわけで、好きも嫌いも無く。
──当たり前のように自然に。
そうです、そうです。ホットケーキを焼けばハチミツで描く、オムレツを焼けばケチャップで描く、そんな感じですね。
──藝大に行かせたいと考えて仕向けたわけでもなく、行きたいと言い出したら引き留めようと思っていたわけでもないんですね。
はい。勉強もそこそこにしておいて、一番楽しいところで一番おいしい進路はどれかなって自分で決めたんだと思います。なんでもできて誰からも文句を言われないところ。
──お母様もそういう感じだったんですか?
私の場合は後ろに深ーい話があるので……。私の父はすっごく絵が好きで、藝大に行きたかったんですけど、弟や妹たちの面倒を見なきゃいけなくて「それどころじゃないぞ、仕事をしろ」という環境でした。でもどうしても絵が描きたくて高校生の頃、上野で似顔絵とかを描いて結構稼いでいたらしいんです。それもあり、私もそういうなかで教育されていたので「代わりに行ってよ」という感じだったんです。
それと、私の祖父、伊代の曾おじいさんになるんですけれど、浅草六区で映写技師をやっていたんですね。そのおじいさんの友だちに映画の弁士をやっている方がいて、その方が私の父をかわいがってくれてたんです。その方が指圧の浪越徳治郎先生とお友だちで、父は浪越先生にもかわいがっていただいたので指圧のほうも始めました。私はすごく身体が弱くて、筋無力症で全く歩けなかったんです。医者もたらい回しにされて、右半身がおかしかったりもして。それを誰も治せなかったんですけど父が治したんです。デッサンするにも本当に手が上がらないくらいだったんですけどいっぱいトレーニングさせられて、けっこう気合いで。父とか祖父とか先生たちの思いが詰まっての「やらなきゃ」だったので、好きは好きだけどいろんなものがありましたね。でもそれが楽しかったかな。
──伊代さんの受験の頃はいかがでしたでしょうか? もちろんご自身が経験されているから分かると思いますが、いろんな意味でハードですよね。伊代さんは一浪ですよね?
(伊代)はい。二浪のママに負けたくなかったし。一浪で。
──お母様はどんな風に見守ったり見送ったりされたのでしょうか?
私はずっと受験の予備校でアルバイトをしていたので、様々なコツを伝授しました(笑)。
──伊代さんが藝大生になって学校に通う姿を見たり、作品をご覧になったりしていかがでした?
楽しそうです。とても。いいなぁ楽しそうで、という感じですね。
──小さい頃の伊代さんはどんなお子さんでしたか?
めっちゃかわいかったんです(笑)。いや、本当に。でも浮いてなかった。かわいいと浮くじゃないですか? それが無くて。男の子でもなんでもぐいぐい引っ張っていって、先輩の男の子たちともすぐ仲良しになっていました。
実は、今日はこの人の小さい時の作品を持って来たんです。生まれたての頃の。この湯呑みは初めての合作。3歳のお祝いです。
(伊代)湯呑みは作ったのがお母さんで色を付けたのが私です。
(母)作っている姿はよく覚えています。写真も持ってきたんです。
──とてもかわいいですね。
これは自宅のアトリエです。
──昔からノリノリですね。
(母)そうです。そうです。
(伊代)変わんないです。これはホワイトボードに絵を描いているところ。これはおじいちゃん。
──いいですね。トイレの作品もいい味ムラがあって。
そうですね。作品にぬいぐるみを置いて遊んだりしていましたね。私がそういう作風なので、学生時代はすっごい煙たがられていました。当時は浅野陽先生だったので、「食器以外は作るな!」って、厳しかったですね。私は「バーカ!」って思ってましたけど(笑)。
──親子一緒に展覧会をなさっていましたよね?
はい。それも子どもの頃から。なるべく小さい頃から参加させるようにしてきました。チマチマした小さな展覧会、地元の町の展覧会ばかりですが、そういうところにちゃんと作家としてスペースを与えて、子どもだろうがなんだろうがちゃんと責任を持つようにしてやりました。
──受験生とか、藝大を目指したいというお子さんを抱えている親御さんたちに、お母様からアドバイスがあればいただきたいと思います。
いろんな可能性のある大学だと思います。出てから全然違うジャンルの職に就く人もいるし、ちょっと違う感覚の研ぎ澄まされた人がいっぱいいるので面白いと思います。なんていうのかなぁ、生きるセンスが磨かれるっていうか、「ちゃっかり」が磨かれるっていうか。
──伊代さんのこれからについて、どういう風に考えていらっしゃいますか?
ぜひ孫の顔は見たいですね(笑)。それはまぁ置いておいて。将来はできるだけやりたいことをなんでもドカドカやって欲張ってほしいと思います。「嘘でしょ?」というようなことをやっちゃってくれてもいいなって思います。
──最後に伊代さんからお母様に一言お願いします。
(伊代)わ、そういうの苦手です……。
──やっぱりこのお母様から生まれなかったらこういう人ではなかったでしょうし「松本伊代」でもなかったですし、こういうものを作る人ではなかったということは確かですよね。
(母)もうウルウルしてる。
(伊代)してないよ。(笑)なんか受験期くらいに、ママの楽しいルートが作られているところに乗っかってるなって思ったときが一瞬あったんです。でもそれもおいしいって思えるふうに、変えられたらOKだなって思った時期があって。それで今楽しいから、よかったなって思います。
──お母様はしめしめって感じですよね、今は。
(伊代)なんか誘導されてる? って。たぶんお母さんはしてるつもりはないんですけど、「あれ?」ってなっているときはありました。今はよかったなって思っています。
──伊代さんはこれからどうしていこうと考えているんですか?
(伊代)楽しいを作りたい、Happyを作りたいです。人の笑顔とか。なんだろうな、暗い気持ちになったりとか、考えちゃうようなことがあっても、そのなかにあるHappyとか。日常のなかのHappyみたいなものを作りたくて。ちょっと悪い部分みたいなのも逆に面白くてHappyになっちゃうとか。そういうのがいいなって思ってます。見た人が暗い気持ちになるとか、嫌な気持ちになるとか、胸がざわつく作品じゃないやつを作りたいです。ざわつかないやつがいいです。
──名前の話で始まったので、名前の話で終わりたいと思います。お母様が「絶対幸せになる名前」って付けてくれて。幸せですか?
(伊代)幸せです。得してるし(笑)。
──有名人と苗字が同じ人は、その有名人と同じ名前を子どもに付けるといい、という成功事例ですよね。
(伊代)でも、松田で聖子だったらちょっとやばかったなって。
(母)それはしない(笑)。
(伊代)松本伊代でちょうどいいです。松田で聖子だったら荷が重すぎる(笑)。
撮影:新津保建秀